鎮魂の祈り 2012 3 10

 私は、2011年4月9日に、
「鎮魂の祈り」ということを書きました。
 被災地では、宗派を超えて、
鎮魂の祈りのために、多くの宗教家が活動したと聞きました。
このことについては、感謝の思いで、いっぱいです。
 しかしながら、いまだに、自分の死に気づかず、
学校に行く人や会社に行く人、街を歩く人が多いでしょう。
 あれから1年が経過します。
自衛隊の仕事は終わりましたが、宗教家の仕事は終わっていません。
 すべての魂が天国に行くまでは、
宗教家の仕事に終わりはありません。
 これは、大切なことですから、もう一度書きます。
人間は、肉体と魂で構成されています。
このシンプルな事実は、科学技術万能の時代において忘れ去られていますが、
たいていの人は、死後、自分の葬式を魂となって眺めることになるので、
そういう事実(人間は肉体と魂で構成されていたこと)を自覚できます。
 しかしながら、大災害という不慮の死では、
自分が死んだことすら、わからずに地上を彷徨う形となってしまいます。
これは、人間として、あまりにも気の毒な形態と言えるでしょう。
 昔だったら、「空海」のような高僧が、
鎮魂の祈りによって、多くの魂を救うことができたかもしれません。
 あまりも多数の死者の魂を救うには、大きなエネルギーが必要です。
それでも、普通の僧侶が被災地を歩くことで、いくらかの慰めとなるでしょう。
 もちろん、生きて残った人たちが力強く復興に努力する姿を見せれば、
地上を彷徨う魂たちにとっても、救いと慰めとなるでしょう。

鎮魂の祈り 2011 4 9
 東日本大震災の被災地は、
自衛隊の努力と米軍の支援によって、
何とか少しずつ復興の道筋が見えてきたように思えます。
 しかし、実は、大きな問題が放置されたままとなっています。
人間は、肉体と魂で構成されています。
このシンプルな事実は、科学技術万能の時代において忘れ去られていますが、
たいていの人は、死後、自分の葬式を魂となって眺めることになるので、
そういう事実(人間は肉体と魂で構成されていたこと)を自覚できます。
 しかしながら、大災害という不慮の死では、
自分が死んだことすら、わからずに地上を彷徨う形となってしまいます。
これは、人間として、あまりにも気の毒な形態と言えるでしょう。
 昔だったら、「空海」のような高僧が、
鎮魂の祈りによって、多くの魂を救うことができたかもしれません。
あまりも多数の死者の魂を救うには、大きなエネルギーが必要です。
 それでも、普通の僧侶が被災地を歩くことで、いくらかの慰めとなるでしょう。
そういうわけで、被災地で早くから活動すべきは、自衛隊と僧侶です。
 もちろん、生きて残った人たちが力強く復興に努力する姿を見せれば、
地上を彷徨う魂たちにとっても、救いと慰めとなるでしょう。

























































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